バレンタインデー問題

先日、バレンタインデーがありましたよね。あれ、異性愛の押し付けが強過ぎてとても息苦しい1日なんじゃないかな、と思います。

しかも「義理チョコ」だけでなく、「友チョコ」を交換したり。なんでこうも同調圧力が強いのか疑問です。

女の子はチョコを大量に購入または手作りし、一つ一つ袋に詰めて、当日に女性・男性に配る。

これを多くの女性が「女子力」という同調圧力の下で強要されてしまうわけです。


もちろん、このイベントが好き、おかし作りが好き、これを機に好きな人に気持ちを伝えたいなどと積極的に参加する人もいるとは思います。

このように楽しみたい人が楽しむイベント(どんなイベントもそうだと思いますが)であれば何の問題もないです。


しかし、資本主義社会の企業戦略はイジワルなもので、

「女の子から男の子へチョコをあげて告白しよう!」「女の子同士でもチョコを交換しよう!」

というように、バレンタインが形式化され、しかもそこには異性間の恋愛しか想定されていないのです。

SEX(生物学的な性別)は女性として生まれながらも、恋愛の対象は女性という人は?

SEXは男性として生まれながらも、女性として生きたいという人は?

たった一日のことだし、自分たちには関係ないから大した問題でもないでしょ。

と、無責任に切り捨てて良い問題は一つもありません。

テレビや広告、インターネットなどのメディアの何気ない一言がかなりの影響力を持っているのも事実です。


例えば、Twitterなどで個人がチョコレートを作り載せているだけでも、

それが拡散されれば大きな同調圧力を生む可能性があります。

一部人の言葉が、まるで「常識」かのように扱われる、いわば情報が支配的暴力になる時代とも言えると思います。「量産型女子」とかね。

この記事もそうです。


なので、こういった記事を読んでも、それを鵜呑みにせず、一つ一つ自分の中で噛み砕いで決断し、同調圧力的な「常識」にとらわれない生き方をしたいっていつも考えています。

他人に迷惑をかけない程度にね。


最近ゴディバが「義理チョコはやめよう!」という広告を出して話題になってましたよね。

「ほんとは面倒臭い。」と思ってる人、多そう。

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