学問の堅苦しさ。

僕は「勉強らしい勉強」が嫌いだ。

英単語や年号をひたすら暗記したり、堅苦しい文章を読んだり。小学校の頃から散々やらされる「勉強」ってどうかと思う。(結果的に、それなりの量をやってきたけど)

個別指導のバイトで、中高生に勉強を教えていると、よく彼らは「単純作業のようでつまらない…」「丸暗記してテストで点を取って終了、という感じがして何の役に立つか分からない。」と愚痴をこぼす。

ん〜、その通り!先生も同感です。

全面的に賛成するとやる気を損ないそうなので、少し共感しつつ「知ったことを使って考えたりするのは楽しいよ〜」と言うことにしている。

個人的な経験や世間のイメージからすると、「勉強」や「学問」「研究」などはどうしても取っつきにくい感じがするのではないか。熱心に勉強している人は「ガリ勉」のような少しネガティブな印象を抱かれるし、なんだか「普通ではない」人になってしまう感がある。

しかも、「勉強」もより良い高校、大学へ進学するというような、自分に箔をつけるための「手段」になってしまっていると思う。実際、僕も大学受験までの勉強は完全に「手段」となっていた。英語や歴史なんかは好きだったが、問題を解くとなるとつまらなかった。クイズ番組みたいじゃん…とよくやる気をなくしていた。

このように小中高の12年間を通して、「勉強はやらなきゃいけないよ」「みんな嫌でもやっているんだよ」「覚えれば良いんだよ」というようなイメージが刷り込まれている気がする。

そうなると、余計に「勉強」や「学問」に対して積極的な人は少数派になるのではないか。

大学でも、「周りの多くが進学するから自分も進学した」「行っておかないと世間体が悪いと思ったから」などの理由で通っている人が多い。はじめは僕もそっち寄りでした。
本来は学びたい人が学びに来る場所であれば良いし、大卒とそうでない人との間で賃金格差があるのもなぁと思う。それぞれが自分のやりたいことに即した場に進んで、進んだ先が大学だからとか、専門学校だからといって扱いの変わる現状はなんだかなぁ。

むしろ個人的には、高校生のうちからやりたいことを絞って、専門学校に行き、短期間でスキルを身につけて社会へ出ていった友人をものすごく尊敬している。

話をもとに戻すと、
こういった現状のせいで「学問」は堅苦しい、大学などの機関の、しかも熱心な学生や研究者たちの間で語られている閉じた世界のようなイメージを強めてしまっているんじゃない?ということ。

学問的な本などは、よっぽど興味があってそれなりの気合いが入らないと読む気も起きないという学生が多いように感じる。課題で仕方なく読むとか、そんな時ですらググって終了という人もいる。

例えば、サッカーでは手を使ってはいけない、というようなルールは元々サッカーをしている人たちの間でしか知られていなかったような「専門的な知識」であったはずだ。
それが、いつの間にかほとんどの人が何気なく生活している間に知っている。

もちろんそのくらい浸透するには長い時間がかかるし、深く細かくしていこうと思えばいくらでも専門的にできるが、どんな学問もせめてその表面的な部分はもっと気軽に触れられる機会があっても良いのにと思う。

なので、このサイトでは僕が「橋渡し」的な役目になれることを目指して、なるべく気軽に「こういう問題もあるんだ〜」と思ってもらえるものを発信していこうと心がけて記事を書いている。
ちょっとまだまだ発展途上で読みづらいかも知れないですけど…。

L'atelier de 423

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