フローベール『感情教育』を読んで。


フローベールの『感情教育』をやっと読み終えた。
フローベールは、フランス近代文学に革命を起こした文豪の1人である。『ボヴァリー夫人』というタイトルを聞いたことがある人なら少々いるかもしれないが、普通に過ごしていたら日本でフランス文学を知る機会はないと思われる。実際、僕も大学に入るまで読んでみようとすら思わなかった。
『ボヴァリー夫人』は去年読んだので、その次に有名な『感情教育』を読んでみた。

他のフランス近代文学にも言えることだけど、とにかく不倫がよく出てくるし、男同士で事あるごとに女性を馬鹿にする。『感情教育』も、その意味では不倫でドロドロしているし、男の絆の描写が強く、ホモソーシャルな作品だなと思った。

【あらすじ】
 『感情教育』は、田舎町出身の青年フレデリックが大学進学のためにパリに出てくるところから始まる。パリで出会うアルヌーやルジャンバール、セネカル、マルチノン、遅れてパリに出てくる親友デローリエなどといった年齢も肩書きもバラバラな男たちと交友関係を広げていく。

 その一方で、フレデリックはアルヌー夫人、ロザネット、ルイーズ、ダンブルーズ夫人らと恋愛していく。フレデリックと交流の深い仲間の妻が2人もいるし、ロザネットはアルヌーや他の男たちとも不倫していたりと、なんともドロドロな人間関係だ。
 フレデリックは、「女心」を巧みに操り、彼女らを踏み台に上流社会へ進出していく。
というゲスいお話。

【面白さ】
 同性愛男性や女性を蔑み、強い絆で結ばれた男性同士の関係、社会をホモソーシャルという。
僕はこの『感情教育』を読んで、完全にホモソーシャルな作品では?と思った。

例えば、デローリエがパリに出てきた時、彼とフレデリックは厚く抱擁を交わし、そのまま同居する。2人は何度か仲違いをしたり、多忙のために会えなかったりするが、常に互いを気にかけているし、会うたびに抱き合って暖かい言葉を掛け合っている。彼らの絆の強さは、他の人物との関係と比べても圧倒的に親密である。物語の最後でも、フレデリックとデローリエは久し振りの再会を果たし、昔の思い出について語り合うが、他の友人とは会うどころか、どうなったのかすら詳しくは知らない。

また、彼らを含め男たちはしきりに女性を非難する。
アルヌーは、なにか上手くいかないことがあればすぐアルヌー夫人に当たるし、
フレデリックらはロザネットを「知識のない女だ」と言って蔑む。他にも、女は何を考えているかわからないであるとか、こうしておけば女心は操れるであるとか。女性同士の口論でも「売女!」と言って罵り合うシーンがあることから、当時の女性の扱いがどれだけ現在の感覚とかけ離れているか伺える。
このように、女性に対する蔑みを基盤にして男たちは強い絆で繋がっているのがこの小説ではないか。

この構造は、夏目漱石の『こころ』にも少し通じるところがあると思う。『感情教育』が1869年に刊行されたのに対し、『こころ』は1914年刊行なので、漱石が参考にした可能性もある。
『こころ』では、「私」と「先生」の絆、「先生」と「K」の絆は女性を(『感情教育』ほど露骨ではないが)見下していることに立脚する。しかも、「私」も「先生」も学生として上京してきて金銭的にも裕福な暮らしをしている。そうした生活の中、男同士の絆と恋愛に現を抜かしていくのだ。

ホモソーシャルな世界観を描いた作品はまだあまり多く読んだことがないが、漠然と小説のストーリーをさらって読むのではなく、「こういう視点でも読めるんじゃない?」「この作品と似てるんじゃない?」と勝手に考えながら読むのは楽しいし、正解もないから自由な読書だ。

L'atelier de 423

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