世界がうるさい。


「あぁ、今日は多分ダメな日だ。」
朝起きた時の感覚で大体“分かる”。そういう日は決まって世界がうるさい。

“世界がうるさい”とはどういうことかというと、
周囲の人の話声や、テレビの音、服の擦れる音、ちょっとした物音などありとあらゆる音が頭の中に響いてくるということだ。「ニコニコ動画」をご存知だろうか。再生されている動画の画面上に様々なコメントが流れてくるのだが、あれが聴覚で起こっている感覚と言えば分かりやすいかもしれない。音が頭の中で文字となって流れ出す。
普通の人は生活の中に雑音があっても、不必要な音はシャットダウン出来るので気にならないだろう。僕もシャットダウンできる日があるので、そんな日はラッキーだなと思っている。
しかし、大抵の場合そうはいかない。

まず朝起きてリビングに向かう。するとテレビがついており、母や父、弟が起きている。家族はそれぞれのスケジュールに合わせて動いているのでせわしなく動いているし、会話もしている。同時にテレビの音、電子レンジの音、水道の音なんかが耳から脳へとなだれ込んでくる。この時点で少し僕の頭は処理落ちする。家族は僕が音によわい日があることを理解してくれているので、それを伝えると音を軽減してくれるのでまだ助かっている。

問題は、電車や学校など公共の場だ。外の世界には味方なんていないので自分の身は自分で守るしかない。と言っても音はどうしても聞こえてくるので難しいが。電車内ではなるべく遮音性の高いイヤホンで音楽を聞き、入ってくる音の数を減らすようにしている。しかし、長時間イヤホンをつけていても耳が痛くなるのでやむを得ず外す。そうするともう地獄だ。満員電車は僕からしたらゲームセンターと変わらない。特に話し声の大きな集団、発話量の多い集団に出くわしたらその日は色々と諦めるしかなくなる。

そんなこんなで大学に着く頃には、僕のHPはかなりすり減らされている。まだ戦いは終わらない。僕の通う早稲田大学は全国的にも生徒数が多いため、必然と講義の受講者数も多くなる。興味のある授業が大教室だった時は憂鬱だ。四方八方からキャッキャとはしゃぐ大学生たちの声が一気に入り込んで脳に響いてくる。辟易しながら再びイヤホンで耳を塞ぐか、我慢するしかない。せっかく聞きたい授業でも始まる頃には力尽きていてなかなか頭に入らない。もったいない。

また帰宅の電車で同じ苦労をしながら帰るので、家に着く頃には脳みそがふやけている。幸い自分以外の家族はかなり早く寝るので、夜は自分1人の時間を堪能できる。この極楽タイムに絵を描いたり、記事を書いたり、読書をしたりする。

自分を含め2〜6人くらいの集団で仲良く話している分にはまだ対応できるのだが、同窓会や飲み会の場なんかだと何十人といる場合もあるので耐え忍ぶのにかなりのエネルギーを使う。そうした場が大学生になってから増えたために、断ったり上手く楽しめていない自分に悲しくなるが、そういう“個性”を持ってしまったのだと割り切るようにしている。決して周囲の人が静かにしろ、などとは思わない(明らかにうるさすぎるのは問題だけど)。むしろ
自分のノイズキャンセル能力を少しずつでも高めていきたい。社会に出るためにも、自分を生きやすくするためにも。

L'atelier de 423

イラストや文芸作品、ジェンダー中心のアカデミックなコンテンツ

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