”男らしさ”と”女らしさ”

どうしてもこの世の中、未だに”男らしさ”や”女らしさ”が存在しますよね。

「男だから○○(すべき)だよね」「女の子なのに○○するの?」というような言説。


例えば、”男らしさ”の具体例を挙げるとするならば、

「男は一家の稼ぎ手である」

「男は弱音を吐いてはいけない」

「男は単純である」

「男は”オオカミ”である」

「男は女性をリードすべきである」 などなど。


一方、”女らしさ”といえば、

「女は慎ましくあるべきだ」

「女はか弱く依存的である」

「女は感情的である」

「女は料理ができなくてはならない」

「女は奢ってもらうべきである」  などなど。

世の中には、あげればキリがないほどの”男らしさ”や”女らしさ”で溢れています。


しかし、冷静になって考えてみると、

相手に何かを求める時に性別を理由にすることはできないと思います。

例えば、ある男女がお互いに、相手の行動に対して不満を感じたとき、

「男なのに…」「女なのに…」と考えても何の根拠もないと思います。

そもそも、そういった考え方こそ社会に染み付いたものであり、

その考え方をもとに苛立ってもその本人には何の責任もないのです。

また、その考え方をしてしまっていると、不必要な不満を覚えてしまうとも思います。


つまり、相手に性別に基づいた「○○すべき」のような考え方を期待しても、(それをお互い求めあっていて応えられるのならいいですが)何の得もないのではないでしょうか。

”男らしさ” ”女らしさ”に挙げられるものはプラスなものも多いですよね。

「頼れる存在である」とか「相手の気持ちに共感する」とか

どちらか一方の”らしさ”を求めるのではなく、1人の人がある意味”男らしく”もあり”女らしく”もあれば生きやすく素敵な人が増えるんじゃないでしょうか。


理想論でしょうか(笑)

参考 

L'atelier de 423

イラストや文芸作品、ジェンダー中心のアカデミックなコンテンツ

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