“オカマらしさ”について考える。

"女らしさ"や"男らしさ"というのはよく話題になると思うが、"オカマらしさ"というものも存在すると思う。

そもそも「オカマ」という言葉自体差別的なニュアンスを含んでおり、性的にマイノリティである人たちを笑い者にしている感が強くてあまり使いたくないけれど…。

この「オカマ」とほぼ同義として誤用されているのが「オネエ」という言葉だ。
テレビなどのメディアが、「オカマ」は差別的であることを意識して「オネエ」に切り替えたのだが、結局差別的な意味合いで使われていると思う。

♢言葉の歴史

もともと「オネエ」の意味は「女装をしない女性的なゲイ」というゲイの中でもさらに限定的な意味を持つ語だった。

しかし、「オカマ」と同じく「男性性を受け入れているゲイ」「女装している男性(トランスヴェスタイト)」「性同一性障害」などの人々を含めた、「”男らしくない”男性」を総称する言葉として用いられてしまっているのが現状だ。

♢メディアでの扱い

テレビなどのメディアは、その影響力の高さ故に”オカマ(オネエ)らしさ”のステレオタイプを作り出しているといえる。
はるな愛、マツコ・デラックス、IKKO、ミッツ・マングローブなどなどテレビで活躍しているタレントは多い。他にも新宿二丁目の名物オネエが特集されているのもよく見かける。

確かに彼ら/彼女らのキャラクターは個性的であるし、セクシュアルマイノリティ独自の視点で物を言ってくれるので面白い。また、自身のセクシュアルマイノリティを”ネタ”として楽しませようとしてくれてもいる。
確かに、これはこれで各人の個性なので良いと思う。特にコメディアンは自らの個性を"売り"にするものだと思うから。

しかし、そこに求められている”オカマ(オネエ)らしさ”は、
「”女性的”な言葉を面白おかしく使う」「明るく自由奔放」「ズバズバとした物言い」
「性に開放的」「濃い化粧や女装」などなど。

問題はこうした特徴が全てのゲイに当てはまると思い込んでしまうこと。

仮にある人物がゲイだとして、それを打ち明けたい時、「世間ではゲイがみんなこういうものだと思われてるから、自分のアイデンティティを否定されてしまうかもしれない…」と思うかもしれないわけだ。

僕だって、「メガネかけてるんだからパソコンとか強いんでしょ?」とか、
「メガネかけてるんだから課題やってきてるでしょ?」とか言われたら嫌だ。(実際言われたし)

人には沢山の個性があるのに、ある1つの個性が共通しているだけで、「君も〇〇でしょ?」と見てしまう、ということだ。

程度は違えど、同じような話だと思っている。
大切なのは、他者をある”型”にはめ込んで見るのではなく、「個人」として1つ1つの個性を尊重することだと思う。なかなか難しいんですけどね。

参考

L'atelier de 423

イラストや文芸作品、ジェンダー中心のアカデミックなコンテンツ

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