「リア充」という言葉の暴力性
ここ数年で一気にその地位を高めてきた「リア充」という言葉。
今では30代、40代以上の世代にも浸透していますよね。
もともと、「リアル(実生活)が充実している」という意味で使われていたらしいのですが、いつの間にか「恋人がいる」という意味に。
そこから、「恋人がいる=実生活が充実している」という価値観さえ広まっているのが現状です。
では、「リア充」の前はどんな言葉が使われていたのか。
有名なのが「アベック」 これはフランス語で「〜と一緒に」を意味する”avec”を由来としています。大正から昭和初期にかけて頻繁に使われた言葉で、後に「カップル」に置き換わっていきます。
他にも、「好一対」、「ペア」、「デュオ」、「番(つが)い」などがあります。
これらの言葉はいずれも、「互いに寄り添い結びついている二人組」という”状態”を表しています。
つまり、今までは二人組かどうかしか表していなかった言葉が、
「リア充」という言葉になると、実生活が充実したものであるか否か、という価値判断まで含むように。
リア充と非リア充、実生活が充実した者としていない者
人々を、その他の特徴を無視して二分してしまうわけです。
異性間の恋愛を絶対視し、それに当てはまらない人々は実生活が充実していない、不幸だ、というような烙印を押されるんです。
考えすぎじゃ〜ん、って思う人も多いと思います。
でも、少数だろうとそれで苦しむ人がいるわけです。
「リア充」という称号の為に恋人を作ろう、と目的化していまい、人がモノのように扱われるという事態もあり得ると思います。
大多数が困っていないなら、考えたりする必要はない、というのは間違ってるよねって僕は思います。
充実しているかどうかは、個人の主観的な判断によるもので、他人と比較するものでもありませんし、ある条件を満たせば充実してますって決まるものでもないですよね。
でも言葉っていうのは不思議なもので、無意識に使っているだけでその言葉の持つ意味が刷り込まれていくわけです。
僕は「リア充」です。
参考
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