人はなぜか、「類型化」が好きだ

「最近の若者は〜」「A型は几帳面で、B型は〜」「男は単純だから〜」

こんな風に、人はあらゆるものに「典型的なタイプ」を求めて分類したがる。

「分類される側」になると非常に窮屈であるにも関わらず、他人にたいして同じ窮屈を与える。

きっと自分も無意識に相手をタイプで判断して傷つけたことが山ほどあるのだろうと思うと心が傷みます…。


今回は、「女性」に対する「類型化」について考えます。


「女は結婚して家庭に入り、家事を一人前にこなして夫を支え、子どもを産み、育てる」というようなステレオタイプは今だに根強いものだと思います。これを「良妻賢母」と言います。

実はこの考え方は、戦後の高度経済成長期にかけて出来上がりました。

多くの人々が「中流」となり、同じような住居、ライフスタイルを持つようになった結果、妻、夫、子どもからなる核家族が増加しました。

ここでいわゆる「主婦」というステレオタイプが誕生します。


現在の40〜50代以上の世代には比較的多いのではないでしょうか。実際僕や友人の母親もいわゆる「主婦」に属しています。

この「主婦」というステレオタイプは2018年になった現在も根強く残っていますよね。


『現代日本女性史−フェミニズムを軸として−』によると、1963年に女子の家庭科が必修となったことを皮切りに、「男女の特性」に応じた教育を施す必要があるとし、「良妻賢母」型の「主婦」像を強めます。


しかしその一方、女性の社会進出が進み、女性が働くことが一般化していきます。

そう、女性は働く→結婚する→「主婦」になる。という流れが生まれるのです。

では現在はどうでしょう?

妻が家事や育児を担うという意識は、だいぶ薄らぎつつもまだまだ強く、しかも「共働き」も当たり前になってきています。

さらには「女子力」なんていうものまで求められる始末。


つまり、女子力の高い「女子」像と、「働く女性」、「主婦」など様々なステレオタイプを同時に要求されてしまうのが現状なのではないでしょうか?これでは二重苦、三重苦。

もちろん男も男で色々な辛さがあると思うのですが、

せっかくそういったステレオタイプから脱しようとしているのに、どんどん新しいステレオタイプを作り出し、その中に他人も自分も閉じ込めていくことは、よくないんじゃないかなあ…。

参考

L'atelier de 423

イラストや文芸作品、ジェンダー中心のアカデミックなコンテンツ

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