日本は性をタブー視し過ぎている。


ジェンダーや性に関する本を読んでいると、「生々しい」話もたくさん出てくる。
「性」にはどうしても、「触れてはいけない」「下品」なイメージが付いて回るような気がするし、実際そうしたイメージによって遠ざけられたり、遠回しに語られる。

僕の高校時代の保健の授業では、「性」に関する単元に入ると、途端に何も教えてくれなくなった。プリントを渡され、性器や避妊具の名称を埋めておけと指示されて終わってしまう。数回の授業しか割かれなかったし、先生も「こういうことをベラベラ話すのは恥ずかしいし、みんな自然に覚えたから良いでしょ?」と開き直っていた。

薬物や事故の際の応急手当てなどは、かなり細かく解説され、危機意識を芽生えさせられた記憶がある。
確かに薬物などは健康を害するし、相手につけ込むような誘惑の危険もあるので、それらに目を向けさせるのはとても大切なことに違いない。

しかし、それは「性」についても全く同じではないだろうか。
望まない妊娠、性暴力、相手を傷つける性的な言動、性病、精神的な苦痛、性の商品化とその誘惑、性に対する誤解、など挙げればきりがないほど多くの問題をはらんでいる。
”問題がある“ということは、”問題から目を背けた方が良い“ということには決してならない、というのが僕の考えだ。

その問題を教えない=知らないことで、問題が発生しなくなるというような単純なものではない。
その考え方で言えば、薬物についてこれだけ教えることは、薬物の使用を助長することになるのではないか。とも言える。
問題を解決していくには、まずその問題の存在を認め、どういった危険があるのか、その危険がなぜ生じるのかなど多角的に向き合う必要があると思う。

そうすることで、「確かにこれは危ない、相手の人生を左右させてしまうかもしれない」といった意識を生むことができる。
特に妊娠をするのは女性であり、性被害も圧倒的に女性が多いため、女性を守るため、加害者の男性を生まないようにするためにも、問題に正面から向き合わせるという機会は必要だろう。

僕は大学に行き、ジェンダー関連の授業を取るまで性的マイノリティや性被害などの問題についてほとんど何も知らなかった。むしろ、そこまで“専門的”な領域まで来ないと、学ぶことが出来ないものになっているのかということの方が驚きだった。

薬物だろうと性だろうと、「自分には関係ないから」「ことなかれ主義でいれば良いから」と遠ざけられるものではなく、どんな人も関係のある問題として捉える/捉えさせることが急務ではないか。

参考 

L'atelier de 423

イラストや文芸作品、ジェンダー中心のアカデミックなコンテンツ

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