上手い人の文章には文章には“食感”がある。
大学生になって2年。文芸のコースに所属したこともあり、授業や日常で「美文」に触れる機会が多くなった。
元から文章を読んだり書いたりすることは嫌いではなかったが、学校の勉強を通してか、気になった大衆小説を読む程度のことだった。なので読書量で言えばおそらく人並みだろうし、読むのも遅い。大学生になってから色々な本を読もうと意気込んではいるものの、なかなか進んでおらず時間も足りていない。
しかし、授業を通していわゆる「文豪」の作品や、先生方の文章に(その一部でも)触れる機会が増え、その文章がするすると自分の中に“食感”を伴って入っていく感覚を覚えた。
それは教科書やニュースのような文章ではほとんど感じられなかった。僕自身の文章に対する“舌”がまだまだ発展途上なせいもあるかもしれないが。
その一方、「美文」にはそれぞれ異なる“食感”がある。
本や電子書籍、スマートフォンで簡単に閲覧できる記事。どのような媒体であろうと「美文」には関係なく、すんなりと体に入っていく。
さくさくとしつつもさっぱりしていて、少し塩をかけただけの天ぷらのような“食感”の文章もあれば、ピザのように色々な具材が混ざって濃い味のする文章もある。
外はカリッと、中はふわっと、といったパンのような“舌触り”の文章もよく味わう。
今までの読書は、その文章に“食感”がないか、あるいはそれに気づくことが出来なかったので、「美味しくないなあ」と言って醤油や塩胡椒、マヨネーズ、ケチャップを手元に置いて常に何かしら“味付け”をしていた気がする。
読書を本質的に「作業」のようなものに見てしまっていたのかもしれない。
もっと早くから「美文」に触れ、その味わい方を学んでいたら…。
もちろん、今感じている“食感”はプロから言わせればてんで的外れなものかもしれないが、感じ方は人それぞれだ。“食感”を覚えた僕は、これからも少しずつ自分のペースで「美文」を味わい、その“舌”を肥やしていく。
自分の“味わい方”をことさらに披露する“グルメ”にはなりたくないけれど。
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