「私は異性愛者です!」

「私は異性愛者です!」だなんて、誰も言わない。わざわざ表明するものでもない。黙っていれば自動的に「異性愛者」ということになる。


最近は「LGBTブーム」の波があり、様々な性のあり方が知られてきている。「レズビアン(L)」「ゲイ(G)」「バイセクシュアル(B)」「トランスジェンダー(T)」

他にも「アセクシュアル」「パンセクシュアル」「アロマンティック」…etc


クラスの中にも何人かいたのだろう。小中高の友人で当事者だった人は“1人もいなかった”。いや、いたとしても“知らなかった”。誰も自分の性のあり方なんて公言していなかったし、もし同性愛者などであったなら、テレビに出ている「オネエ」のように“見れば分かる”と思い込んでいたから。


会話においても、“女の子”には「彼氏いるの?」「好きな男の子のタイプは?」、“男の子”には「彼女いるの?」「あの子、可愛いよな」

と、常に「異性に対して恋愛感情を抱く」ことが前提で話が進んでいく。同性を好きになると公言すれば、すかさずテレビのように“ネタ”として笑われ、“変わり者”扱いされてしまう。


例えば、男性芸人同士がキスをさせ、「おえっ」と嫌悪感を示したり。同性愛を匂わせる発言をした人に、「そっちの趣味があるの…?」と濁して茶化したり。特に子役などがその場面に遭遇していると「こういう話はちょっと早いかな」と隠したり。少し気にしてテレビやネットを見ているだけで、かなり多くの”ネタ”が出てくる。


そのように発言しない人も、LGBTQ +の当事者を少なからず“普通とは違う存在”と受け止める人が多いように思う。それは、「LGBTQ +」が教育(多くは大学)によって教えられる知識になっているからだろう。


教わっておかなくてはならない、切り取って分析しなければならない、理解してあげなくてはならない存在。というように、最初からマジョリティとマイノリティという線引きをして物事を進めてしまっている側面がある気がしてならない。「僕らとは違う存在」「差別するつもりはないけど…」といった具合に。


よく「性はグラデーション」と例えられるが、確かにその通りで、

「異性愛者=赤」「同性愛者=青」といった具合に色を割り当てたとしたら、

「バイセクシュアル=紫」で表すこともできる。

もちろん、赤の中でも“薄めの赤”や“濃い赤”、“紫にさらに別の色が混ざった色”などなど、考えられる色は無限にある。


色に優劣は存在しない。ただ、僕は「赤」だっただけだ。


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過去に書いた記事─「人の個性を『色』で例えてみた。」


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