人の個性を「色」で例えてみた。

ジェンダーやその他の社会問題なんかに関する本でよく出てくる「差別」の問題には共通点があるのではないかと思います。

相手を差別する際に、その人の持っている特定の「個性」だけを切り取って、それに優劣をつけるというものです。


例えば、ある人物Aさんが「同性愛」という「個性」を持っていたとします。

そうすると、マジョリティである「異性愛」という「個性」を持つ人々は、自分たちがマジョリティであることがあたかも偉いことであるかのように決めつけ、

「Aさんは同性愛者だから…」と言って蔑んだり、非難したりします。

もちろんそのAさんは、「同性愛」以外にも様々な「個性」を持っているはずです。


しかし、そういった他の要素を全て度外視し、「同性愛」という「個性」だけでその人の全てを理解したつもりになり、排除する、といった問題が多々あるようです。

人種や障がいに関する差別も同様で、ある人物の特定の「個性」だけを切り取り、そこに負の意味づけを行ってしまっています。


僕は、こういった「個性」は「色」に例えることができるのでは?と思ってます。


「色」は、赤、青、黄色、緑、黒、白、紫…などなど、区切ることのできないほど無数にあり、それぞれの「色」がただ存在するだけで、「赤は青より偉い」などといった優劣も存在しません。どうしても、大体ここまでが赤と呼ばれて、ここからはピンクと呼ばれます。

というような線引きは発生してしまうのですが、細かく名前をつけていけば無限に分けられますし、透明だって「色」として扱えるかもしれません。


これと同じことを、人の持つ「個性」で置き換えてみたらどうでしょうか?

例として、僕の持っている「個性」を並べてみます。

・典型的な「男性」

・メガネをかけている

・身長168cm程度

・絵を描くことが好き

・おとなしめな性格

・漫画が好き

・大学生

どうでしょうか、ただの「色」に過ぎないでしょ。

メガネをかけているから、かけていない人よりも弱い立場であり権利も制限される、とか、

あの人は大学生だから、関わるのはやめた方が良い、とか。

明らかにおかしいですよね。


でもそれが、性に関する「個性」になると、あたかも真っ当な差別かのように見なされてしまう。現に同性間の婚姻は認められていないので、たった1つの「個性」で法的な権利まで奪われてしまっているわけです。

自分が持っている様々な「個性」のうち、その1つだけで自分を判断されたり、軽蔑されたら嫌じゃないですか?

「いやいや、他にもこういう個性ありますよ?」ってなりませんか?

誰かの「個性」を知った時に、「へぇ〜、その“色”も良いじゃん」って自然に言えるようになりたいです。

L'atelier de 423

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